トクラグリーン代表インタビュー

広島県三原市大和町の一角に「トクラグリーン」という、ホームページも存在していないのであまり人には知られていないが、情熱と確かなコンセプトをもって野菜作りを行っている農家があります。今回はそんなトクラグリーン代表の村上基治氏にまざぁーずうぉーむとしてインタビューを行いました。
1 トクラグリーンの概要
2 トクラグリーン代表、村上氏の経歴
3 将来の展望
1 トクラグリーンの概要
トクラグリーンは広島県三原市大和町において「自分が食べたいと思う野菜しか作らないし、売らない」というコンセプトのもと、葉物の野菜(ほうれん草や小松菜等)を中心に生産・販売を行っている農家です。代表の村上氏自身が「安心して食べることの出来るような野菜のみ」を生産するため農薬は極力使用せず、さらに消費者の方に安心して食べていただけるよう、農家と消費者の距離が比較的近い直売所等での販売に力を入れています。野菜を栽培する農家の数が年々減少していく中、代表の村上氏はひたすら自らのコンセプトに拘った野菜作りを貫き続けています。
2 トクラグリーン代表、村上氏の経歴
トクラグリーンの代表である村上氏は現在でこそ拘った野菜作りを貫く「農業屋」ですが、過去の経歴は現在のものとはまったく別のものでした。村上氏が高校卒業後の進路として選択したものは、某大手自動車ディーラーでの整備士の職であり、もともと車が嫌いではなかった村上氏はそこで整備士としての職を全うしつつ、名機である13Bロータリーエンジン搭載のマツダ・ルーチェを乗り回す日々を送っていました。しかし就職してから約2年後、整備中の村上氏を突然の不慮の事故が襲います。整備のためリフトアップされていた軽トラックが突然落下、村上氏は左手に大けがを負ってしまったのです。結局、村上氏は計3か月の入院生活を余儀なくされ、職場復帰した時にはすでに自らの居場所は無くなっていたのでした。
ディーラーを退職した後、村上氏はディーラー時代付き合いのあったお客様からの紹介で、市場において働くこととなりました。するとここで村上氏のビジネスの才能が開花します。村上氏は市場において農家からの野菜の仕入れや値段交渉、商品の卸等に至るまでのビジネスの動きを担当することとなりましたが、既得権益や古い農家独特の雰囲気に邪魔をされ、働き始めた当時の市場ではなかなか利益が上がらないというのが現状だったようです。そこで村上氏はその現状を打破するため、利益追求型の仕入れ値の厳守や、他のバイヤーに先駆けて行う「掘り出し物」の先行入手を徹底して行うことにより、それまではあまり利益が上がらなかった市場に多大な利益をもたらすという快挙を成し遂げたのでした。その成績を見込まれ勤務先の社長から「支店長」への昇格を打診された村上氏でしたが、心の中ではすでにある思いが固まりつつありました。「農業を営んでいる実家に帰り、両親を助けたい」、このように考えていた村上氏は市場で働きつつ、自ら農家を回って農業の技術や知識を身に着け、実家に帰る準備をし、市場で働き始めてから6年後、支店長への昇格の話を断った村上氏は本格的に農業を行うために三原市大和町の実家へ戻ったのでした。
まず最初に始めたのは野菜ではなく「トルコキキョウ」を栽培する園芸農業です。当時「トルコキキョウ」栽培は非常に珍しいうえ、ライバルも非常に少ない品種かつバブル経済真っ只中という好条件もあり、1本300円という高値でバイヤーが購入していくというサプライヤーとしては願ってもない状況でした。そんな誰もが羨望のまなざしを向ける品種に着目できたのも、村上氏のビジネス眼があってのことでしょう。しかしそんな状況を同業者が黙って見ているだけのはずがありません。トルコキキョウ栽培業者が劇的に増加、噂を聞きつけた菊農家までもが栽培を開始してしまい、やがて市場にはトルコキキョウであふれかえる様な事態に陥ってしまいました。いつの時代もこの様な状態が行き着く先はたった一つ、「市場価格の大暴落」です。1本300円が最終的には1本10円にまで暴落してしまったトルコキキョウ栽培では生活が出来なくなってしまった村上氏でしたが、しかしそこでまた彼のビジネス眼が最大限に発揮されます。次に目を付けたのは当時まだ珍しかったガーデニング系の鉢植え栽培用花の生産です。玄関や庭先に植えるためのガーデニング系の花類(当時ガーデニングという言葉が一般的だったかどうかはわかりませんが)が日本においてブームになる兆候を見逃さなかった村上氏は即座に栽培品目を変更、ガーデニングのブームに乗り遅れることなく順調に栽培を続けていきました。ただこのブームにも数年後に終わりが訪れ、また以前のように栽培品目を変更せざるを得ない事態となりました。
市場の流行り廃りに振り回されること数年、村上氏の心の中にはある思いがありました。「大和町では年々野菜農家が減少し続け、今では野菜を栽培しているところはほとんどない。自らが野菜を栽培し、大和町の野菜農家減少を食い止めたい」という思いです。事実、大和町において野菜を販売目的で栽培し、利益を上げている農家はごく少数とのこと、そんな実情を憂えていたのでした。そこで村上氏は野菜農家への転身を決意、拘りの野菜の栽培を始めたのです。「自分が食べたいと思う野菜しか作らない。農薬を大量に使用し、大手に売りっぱなしの無責任な大量生産はしない」というコンセプトを貫く村上氏は、自ら生産した野菜を自ら食べることにより、常に消費者目線での安心安全の野菜作りを心がけています。「大量の農薬が使用されている野菜を食べたいか?」、常に自らに言い聞かせながら野菜を栽培します。「店に売るわけであって自分が食べるわけではないから、大量の農薬を使用しても自分には関係のない話だ」と考える生産者も存在すると聞きますが、村上氏はあえてリスクを覚悟のうえで、手間がかかることに加え虫や病気に脆弱な減農薬栽培を貫きます。こだわる理由はただ一つ、村上氏が自ら栽培する野菜及びそれを食べて下さる消費者の方々に対する強い責任感からなのです。
3 将来の展望
村上氏には将来、実現させたい目標が2つあります。一つは農園の後継者を育成することにより地区の農業従事者数の減少を食い止めること、そしてもう一つは農業関係業界を盛り上げ日本の自給自足率向上に寄与するというものです。村上氏はこれらの目標を実現させる大前提として「利益を上げることの出来る農業」が必須項目だと考えます。実際、現時点では「農業の運営の際に出た損失を、補助金や年金で埋めている農家」が多いようで、このような状態では次世代の農業を担う若手が事業として参戦できるはずもありません。村上氏はこの大前提をクリアするため、現在の栽培工程から無駄やロスをなるべくなくし、現在のコンセプトから逸脱しない範囲で利益を追求していく予定です。村上氏は「儲かっていない農家になんて誰も後継者として来てくれんじゃろ。理想ばかりで全く事業として体をなさない農家で修業したいと思う若者なんておらん。だからまずは農業でしっかり利益を上げること、これが大事じゃ。そうすりゃ、こっちから言わんでも誰かが勝手に農業を教えてくれって来るけぇ」と語ります。筆者は最後にシンプルながら非常に重要な質問を投げかけてみました。「農業は楽しいですか?」、この問いに村上氏は「農業はほんまに楽しいわ。全部、自分の責任でやれるけぇね。どこかに勤めよったら結局、機械の歯車で終わってしまうかもしれんけど、農業だったら自分で何から何まで出来るじゃろ。ようけ挑戦してようけ失敗するけど、それが楽しいんじゃ。今年も色々失敗するじゃろうけど、色々挑戦していかにゃあいけん。それで最後は自給自足率とか農家の後継者不足とかの助けになれればええのぅ」と笑顔で答えてくれました。これからあと何年かが経過した後、トクラグリーンに多くの若者が弟子入りしている姿を見ることが出来るかもしれません。筆者は強くそれが実現することを願っています。